【危機の倭城3】埋められて、崩されて…

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KNN企画報道「危機の倭城」シリーズ第三回は、明洞城特集。

明洞城は、ここが城跡だということを地域住民さえ知らないそうです。存在さえ知られていない城跡がまともに保存されるわけがありません。管理自治体である昌原市は、調査も史跡指定もしませんでした。

明洞倭城縄張図

明洞城は、山麓に一つ、山頂部に三つの曲輪が展開する城です。山麓は、番組にも出てくるように大部分は畑となり、生い茂る草の間からわずかに石垣が顔を出すのみとなっています。それに比べると、山頂部はまだ残りが良いといえるかもしれません。特に曲輪(1)がもっとも状態が良いです。

明洞城

写真は虎口。ここが(1)の中でももっとも城跡らしさを感じさせる部分ですが、お城マニアでなければここが城跡だということに気づかないかもしれません。

史跡指定を受けておらず、城跡だと認識されていないと思われる倭城は他にもあります。

釜山の南の小島・影島にある東三洞城は、住宅と畑となっています。初めて訪れた時、本当にここであっているのかと不安になりました。

東三洞倭城

巨済島の見乃梁城(倭城洞城)は、曲輪だけでなく、堀底までもが畑になっています。戦前に描かれた『見乃梁図』がなければ、ここが見乃梁城だと特定できなかったかもしれません。

見乃梁倭城

金海市農所里の農所城は、墓地。どこからどこまでが城跡なのかよく分かりません。わずかに残る石垣と、その周囲に散らばる瓦片だけが、ここが城だったことを示す証拠です。

農所倭城瓦片

巨済島旧永邑に残る朝鮮式の城・旧永登城は史跡指定を受けています。この城の中には、倭城築造が本格化する前に普請された石垣ではないかといわれる日本式石垣があります…が。2013年ゴールデンウィークまできれいな状態を保っていた石垣が、2015年初頭には変わり果てた姿になっていました。堀口氏(호리구치 켄지)のブログには、今となっては貴重な旧永登城内の日本式石垣が載っています。

旧永登城

私が渡韓した2014年初頭から2015年初頭のたった1年の間で、旧永登城と熊川城は大きく変わってしまったのです。

(動画がまだYouTubeにアップされていないようです。アップされ次第、こちらで紹介します。)

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