本場・韓国の朝鮮式山城は凄かった①鶏足山城

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天智天皇2年(663)倭・百済連合軍は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗北。その後、中大兄皇子は、唐・新羅連合軍の侵攻に備え、北部九州から瀬戸内海にかけて城を築かせました(『日本書紀』)。その築城には百済の将軍たちが携わっており、それらの城は現在、朝鮮式山城と呼ばれています。

そんな朝鮮式山城のルーツを求めて、古代山城マニアの方々が絶賛する三年山城を訪れました。その前日、大田広域市の鶏足山城を訪れました。

大田市街からバスを乗り継ぎ約一時間、鶏足山麓のバス停に到着。

鶏足山城

登り始めて約20分。この山城は人気トレッキングスポットなので、登山客が多いと思っていたのですが、誰ひとりすれ違う人がおらず、少し不安になりました。ただ、人が歩いた痕跡があり、方角も合っている…何より、山城が見えていました。

鶏足山城

少し休んで15分ほど登ると、車が通れそうな道に出ました。そこには、トイレやベンチ、ルートマップが設置されており、数名の登山客が休憩していました。どうやら私は、あまり使われていない登山ルートを選んでしまったようです(私は6番ルートで登りました)

鶏足山城

さらに15分ほど登ると…城壁が見えてきました。

鶏足山城

城内に入ると、案内板がありました。鶏足山城は百済によって築かれたとされていましたが、1998年~1999年の発掘調査により新羅によって築かれたことが明らかになったそうです。

鶏足山城
全長1kmの城壁に沿って、6(建物址)→1(西門址)→2(南門址)→3(烽燧臺)→4(集水池)→5(曲城)→6の順に周りました。

鶏足山城image鶏足山城鶏足山城鶏足山城鶏足山城

まだまだ復元整備の途中ですが、本場・韓国の朝鮮式山城の魅力を体感することが出来ました。下山時は、車が通れそうな5番ルートで降りましたが、拍子抜けするほどラクでした。

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