倭城?朝鮮式山城?日本式石垣が残る竹州山城

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城ガール隊のkuroさんと一緒に、京畿道安城市の竹州山城を訪ねました。

竹州山城
▲内城

この城は、忠州と清州を結ぶ内陸交通の要衝にあり、高麗時代には、蒙古軍と激しい戦いが行われました。余談ですが、韓国を代表するインスタントラーメン「安城湯麺」を作る工場が、ここ安城にあるそうです。

竹州山城
▲内城北門(上が外から、下が内から)

出入口は内甕城、日本の中世城郭でいう内枡形状になっています。

竹州山城
▲外城

このように、石築城壁が累々と続くわけですが、途中、場違いな石垣を発見!

竹州山城
▲南雉城

実はこの城、文禄・慶長の役の後に日本式城郭に倣って改修された城なのです。おそらく、この石垣が日本式城郭に倣った部分なのでしょう。このような石垣は、京畿道広州市の南漢山城や北朝鮮の鏡城邑城でも見られます。
この写真が、韓国の城の石垣だということを伏せたまま「この石垣は、xx城の櫓台で、当時は二重櫓が建っていたといわれています」などと言われると、信じてしまいそうです。

고려 고종 23년 몬고군이 이곳 죽주산성에 이르러 고려군에게 항복을 권유하면서 공격하였으나 끝내 함락시키지 못하였다고 한다. 이때 성을 지킨 방호별감 송문주 는 일찍이 구주성 싸움에서 몬고군의 공격법을 알고 있어 대비하였기에 백성들은 그를 “귀신” 또는 “신명” 이라 하였다. 조선 시대에도 이 지역의 전략적 중요성이 강조되어 성을 보수하였으며, 병자호란 때에는 진을 치기도 하였다.