安羅伽耶の王都・咸安の城山山城の築城主体が新羅だった件

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▲城山山城遠望

城ガール隊のOgiさんと一緒に慶尚南道咸安郡の城山山城を訪ねました。城山山城は周長1400mの石築山城で、大量の木簡が出土した城として知られています。

慶南咸安の城山山城などは当初は安羅国の王宮とそれを守る城だと思われていたが、一九九一年からの発掘調査の結果、大量の木簡が出土し、六世紀に新羅がこの地域に進出した時、支配拠点として築いた城とわかった好例である。城山山城では新羅の城壁工法である基壇補築も見つかっている。(向井一雄2016)

発掘調査後に埋め戻されていたり、発掘調査中のためシートで覆われていたり、見学するには不向きな状態(2017年6月時点)。とはいえ、全く見えないわけではなく、ところどころ城壁が露出しています。城壁に沿って一周することはできました。


▲城山山城城壁

城山山城見学後、末伊山古墳群へ。
古墳群からは、城山山城が見えました。


▲末伊山古墳群(長項里・末山里古墳群)

古墳群の麓には咸安博物館があります。
ここでは安羅伽耶の歴史を学ぶことができます。古墳コーナーの他、城山山城のコーナーもあり、例の木簡をはじめとした遺物が展示されています。


▲城山山城出土木簡(咸安博物館)


▲城山山城出土瓦片(咸安博物館)

山城、古墳、博物館を満喫した私たちはこの後、日本では食べられないアレをつつきながら、城トークに花を咲かせました。

参考文献
向井一雄2016『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン (歴史文化ライブラリー440)』吉川弘文館

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