半島系タイプ?彦陽邑城で見た矢穴痕

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蔚山左兵営城を訪れた翌日、倭城研究家の堀口健弐氏と高橋圭也氏と一緒に彦陽邑城を訪れました。


▲彦陽邑城復元ジオラマ蔚山博物館2016特別展「蔚山의城郭」展示品)

国内では珍しく平地に正方形に築き上げた城である。三国時代から土で築いた土城はあったが、石によるものは1500年(朝鮮燕山君6年)に初めて築かれた。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に崩壊したものを1617年(朝鮮光海君9年)に再築城した。
城壁は朝鮮前期の邑城築城の一般的な方式が反映されており、大きな石を大雑把に定型化して積み上げたあと、その隙間を細かい石で埋め城壁を堅固にした。
「新増東国輿地勝覧」によると、城の周りは3,064尺、高さは13尺であった。城壁の四面にはそれぞれ門を作り、門の上には映花楼などの楼閣を設けた。城壁の角には見張りの望楼を建て、城門の周りには城門を保護するための甕城(出城)を築き、城門と望楼の間には雉城(城壁に這い上がる敵兵を攻撃するため、城壁から外側に突き出るように作った施設)を設けておいた。城内には各種の官衙があったが、東に東軒が、西に客舎(現在の彦陽小学校の場所)があった。東西南北に通じる道路と、東門と西門を貫く水路と4つの井戸もあった。
この邑城は15世紀末、朝鮮時代の平地邑城の典型で、構造と築造手法は当時の平地邑城の研究に重要な資料になっている。

(北門前の案内板より)

※別の案内板には「高麗時代(1390年)土城で築城、1500年、石城に改築」と書かれていました。

梁山市外バスターミナルからバスに乗り、30分ほどで彦陽市外バスターミナルに到着。さらにバスターミナルから10分ほど歩くと、彦陽邑城南門が見えてきました。形式は典型的な邑城の城門ですが、今まで見た他の邑城の城門より一回り大きいという印象を受けました。

ここで作図班と別れ、私は城壁を見て回ることに。
南門周辺をはじめ、近年復元された箇所も少なくありませんが、保存状態は概ね良好。特に西側はそのままの状態だと思います。


▲東城壁


▲北城壁


西城壁

数カ所で矢穴痕を確認しました。日本の城郭では見られない形の矢穴痕(半島系タイプ)ですが、韓国では珍しいものではないようです。


▲彦陽邑城(上)と慶州石窟庵(右)

南門〜東門〜北門〜西門〜南門と一周したところで作図班と合流し、この日の踏査は終了。
韓国で城歩きをする時は、陽が暮れる前にバスに乗り込み、釜山に戻ってから飲み会をするのが常ですが、ここは彦陽。彦陽名物プルコギを食べずに帰るなんてもったいない!ということで、プルコギのお店に入りました。

彦陽プルコギがどういうものなのか知らずにやってきたのですが、普通のプルコギとまるで違います。普通のプルコギは肉じゃがのようなすき焼きのような料理ですが、こちらのプルコギはタレで漬けた牛肉を網で焼いたもの。

サンチュにお肉を載せ、口の中に放り込むと

あぁ、幸せ。

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